人生の先輩たちは、「やっておいて、無駄なものはない」といいます。そうはいっても、すぐに「こんなことを勉強して、将来何の役に立つの?」と言いたくなるのが子供というもの。今の大人たちだって、そんな子供時代を、悶々としながら過ごしてきました。
社会人が、「学生時代にやっておいてよかった」と思うものは、何でしょう? 大学卒業、博報堂に入社し、今はフリーの編集者として活動する中川淳一郎が自分はどうだったのか、振り返ります。
学生時代にやっていたことで今に活きるものは何か。このもっとも分かりやすい例は「友人を作る」ことでしょう。先日、突然Facebookでメッセージが来たのですが、大学時代の同級生の中国人男性・チンさんでした。チンさんとなんどかメッセージのやり取りをした後に、電話番号を伝えたらすぐに電話が来て、20分ほど喋ったのです。彼は香港に今は住んでいるようですが、いずれ当地へ行くことを伝えました。会うのが楽しみです。
今一緒に仕事をしている弊社のY嬢や、よく仕事で一緒になる千葉商大専任講師の常見陽平君なども学生時代の友人です。こうした人々と深い関係になれるのが学校だと思います。これは当たり前の話ですが、今活きていることって実は「勉強」なんですよね……。
社会に出ると、競争の連続なんですよ。あとは、「値踏みされる」ことだらけ。そういった時に、どれだけ知識と常識があるかが勝負になることが多いんです。これは別の言い方をすれば、「将来呆れられないために勉強をする」といったところかもしれません。
なんで学生時代の勉強が大事かといえば、やはり脳味噌が若い方が、相当吸収力がいいんですよね。現在43歳の私にしても、この10年間に読んだ本よりも人生最初の20年で読んだ本の方をよく覚えたりしている。社会人になり多くの人と出会い、中には相当年上の博識な方も多いものです。会議などでも、“共通認識のうえに立った言語”で話されたりすることが多い。アイディアを出しあう会議って、何らかのイシューに関連した小ネタをいかに出すかが重要だったりもします。そんな時「当然お前、このくらい知ってるよね」という前提で話を振られます。
数年前、ニーチェがブームになったことがありました。適菜収さんの『ニーチェの警鐘: 日本を蝕む「B層」の害毒』もきっかけの一つですが、こうした本も会議では話題になることがあります。その時に果たして何を言えるか? これにより評価はグンと変わるのです。大学時代に、浅くでもいいですから各種トピックスについて学習しておけば、最低でも会話についていくことはできる。
ニーチェについて何か言え、と言われた場合、私は「ワーグナーに共感していた、すなわちヒトラーにも通じる考え方」や「いわゆる『悲劇の誕生』はもっと長く『音楽の精髄からの悲劇の誕生』で、これのドイツ語の原題が「Die Geburt der tragodie aus dem Geiste der Musik」であることなどはすぐに出てきます。たまたまドイツ語の教科書がニーチェの一生をドイツ語で読むもので、前田先生という先生がこれらを丁寧に解説してくれたのを覚えていたのでした。
その他、「経常利益」と「営業利益」の違いとか、保険の中には「トンチン保険」というものがあったりもする。「トラン」という名前であればベトナム人が多く、GEが復活した背景にはジャック・ウェルチの「1位か2位になれない事業からは撤退する」といったこともやはり大学の講義で学んだりするものです。
当時、それほど勉学が好きではなかったものの、結局、当時吸収した“小ネタ”が会議での話題、現在私が文章を書いたり、講演で話したりする内容と関係してくるのです。また、飲み会などでもこうした話題は時に出てくるのです。
知識なんていつでも吸収できるじゃないか――。そう思われる節もありますが、そうでもないんですよね……。私自身、かなりの部分の知識は学研の「学習まんが」シリーズから学んだと思っております。小学生時代に読んだこれらの漫画が、今の知識の基礎を成している。到底過去10年に覚えたことよりも圧倒的に若い頃は物事を知れた。大学というのは、そうした知識吸収の最後のチャンスとも言えます。
社会人になると、そうした時間も取りづらくなるもの。それでいてタチが悪いのが、途端に学習意欲が湧いてくるんですよ。でも、吸収するだけの能力がもはや残っていないというジレンマもあるわけですので、今は勉強をバカにしているかもしれませんが、将来に活きてきます。筋肉は常に動かさなければ衰えますが、知識は若い頃の蓄積が将来に活用できるので、勉強は間違いなくやっておいた方がいいでしょう。ジャンルはなんでもいいです。とりあえず講義に出て、マジメに話を聞く。それぐらいでOKです。
中川淳一郎(なかがわじゅんいちろう)
編集者
1973年生まれ。東京都立川市出身。1997年一橋大学商学部卒業後博報堂入社。
CC局(現PR戦略局)に配属され、企業PRを担当。2001年に無職になり、以後フリーライターや編集業務を行ったり、某PR会社に在籍したりした後ネットニュースの編集者になる。
著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書) や『内定童貞』(星海社)など。