会社に就職するばかりが「働く」ではありません。とはいえ多くの人がどこかの会社に就職します。そんななか「会社で働くことに向いていないのではないか」という思いを抱く人は、古今東西少なくありません。その悶々とした悩みに、元博報堂社員、今は編集者として働く中川淳一郎がこたえます。
「自分は会社で働くことに向いてない気がする」――そう考えることもあるだろう。その気持ちは大事にしてもいい。会社で働くことというのは、お金を得る手段の一つでしかないからだ。世の中には幸いなことに様々なカネの稼ぎ方がある。フリーランスという道もあるし、在宅バイト、株のデイトレーダー、農家、フリーター、漁師、アフィリエイター、プロブロガーなど様々だ。いずれも自分がしっくりくるような働き方をすればいい。
ただし、一つ覚えておきたいのは、結局この世で働く人のかなりの割合は会社(ないしは役所など)で働いているということだ。バイトをするにしても、NPOの職員にしても広義の意味では働く場所は「組織」であるだけに会社とはあまり変わりがないだろう。前出の会社以外の働き方に関して言うと、選ぶ人が会社員より少ない理由は、やはり合理的にカネを稼げないからである。
人々が会社員を選ぶ理由は、ローリスクミドルリターンが得られるから。それ以外の働き方は、よっぽどの実力者であればハイリスクハイリターンで、普通の人はミドル~ハイリスクローリターンになりがちだ。まだ「向いてない気がする」のであれば、一度やってみてはいかがか……という妙な根性論になってしまうが、「向いていない」と決めつけるより、やはり一度は実証してもいい。
私の場合も元々は会社員だったが、絶対会社員には向いていないと学生時代から言われていた。実際に入ってみたら確かに向いていないことは明らかだった。それこそ通勤列車が苦痛で、エラい順にエレベーターを降りるといった不文律もバカバカしいと思ったし、客先に行く時はネクタイを締めるといったところもイヤだった。
まったくもってして崇高なる「否定」ではなく、単に「イヤ」とダダをこねるガキのような理由で会社に向いていなかったと考えた。それで結局4年間で辞めてしまったのだが、とことん「他人に評価をされながら常に競争して働くこと」が向いていないと思った。
当然フリーであっても評価はされるし、競争はあるものの、それは相対的な評価というよりは、絶対的な評価であることが多い。ただ、会社でどういう基準なのか分からないもので給料が決まるのも気持ち悪かったし、仲間達と出世競争をするのもイヤだった。
「向いているか向いていないか」といったものを、あなたはこのように説明することができるだろうか。そしてその説明はふわっとした「なんとなく」というものではなく、いかに心からの嫌悪感をベースに語れるかが重要なのである。その時に初めて「向いていない」と断言し、その道を選ばなかったとしても後悔しない人生を送れるのである。
人間は様々な経験をすることで向き・不向きを把握していく。私の場合、自分はつくづく飲み会の「コール」やカラオケ、バーベキュー等、リア充の好んでやる儀式というかイベントが向いていないと思った。こうした場には盛り上げ役に向いている人がいて、その人は心底楽しそうだし、そのノリについていける人も楽しそうだ。しかし、私は途端に恥ずかしくなって隅っこでうじうじしたくなってしまう。
だから、色々な娯楽を選べる今はよっぽど大事な仲間との会合である時以外、上記のようなことは一切しないことに決めている。それは「向いていない」からである。人間は年を重ねるにつれ、向いていないものが次々と増えていくとともにそれらを意図的に避けることで、より快適な人生に近づいていく。
会社員が向いていないとそこまで嫌悪感をもっていえるか? まずはそこを考えてみてはいかがでしょうか。本当に実体験から嫌悪感を言えるのであれば、会社員にならなくてもいい。
ただし、『美味しんぼ』の山岡士郎が頑なに結婚を拒否していた理由が、自分と父・海原雄山の関係が悪かったことだけを理由にしたような、腹から出ていない嫌悪感ではダメだ。山岡は結婚というものはくだらないものだ、という思い込みを基に結婚を否定した。ここに未来を変えようという気概はなく、ただ選択肢を狭めているだけである。そして、山岡は結婚後、幸せな人生を送っている。あまり決めつけない人生の方が幸せだと思います。
中川淳一郎(なかがわじゅんいちろう)
編集者
1973年生まれ。東京都立川市出身。1997年一橋大学商学部卒業後博報堂入社。
CC局(現PR戦略局)に配属され、企業PRを担当。2001年に無職になり、以後フリーライターや編集業務を行ったり、某PR会社に在籍したりした後ネットニュースの編集者になる。
著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書) や『内定童貞』(星海社)など。